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川上緑桜を偲ぶ会のお知らせを今日頂きました。(2006年9月5日)

感無量です。
写真するボクが今日あるは、ひとえに川上先生とのご縁があってのことです。
「帰り道」のロクちゃん、「白鷺讃歌」の川上緑桜、ボクの勝手な事情で30年の空白があったとはいえ、あなたはずうっとボクにとって生涯の師匠でした。

「クラさんは逆光、タテ位置がうまいな」とおだてられたのが、すべての始まりでした。(ネットでの作品展示の時代になってタテ位置は撮らなくなりましたが)

不思議なことに、「ロクちゃん」が昔冬のベニスで撮られた写真をしっかりと覚えていて、ボクも夏ばかりだったイタリア旅行を今年こそはと思い立って雪のベニスで、ファインダーを興奮に曇らせながら撮っていたちょうどあの頃、2006年の1月、アフリカ撮影旅行から帰国されてすぐに急逝されたとのことです。

ロクちゃん、あなたは、どれほどたくさんの人に写真のすばらしさを伝えてきたことでしょう!

ありがとうございました! 心からご冥福をお祈り申し上げます。

(今となっては、ロクちゃんが初めてコンテストに入選したというチンチン電車の駅での鶏のスナップのキャビネに焼いた作品を見せて頂いたことが、これからのボクの人生一の誇りとなりそうです。川上先生になられてからの世界的に有名な作品は誰だって知っているけど、阿倍野の駅の鶏は、ボクしか見てないんだぞ!)

小田原利典にとっての植田正治にたとえるのは、おこがましい限りですが、ボク自身にとって川上緑桜は神様でしたし、これからもあなたを超える目標はありません。(40年の昔、あなたは、エルンスト・ハースがオレの目標や、と言っていましたね。あなたが亡くなられたちょうどその日、まったくの偶然で、ボクはパリでハースの作品の展示を見てましたよ)


NK と写真

1954 年、NK が高校一年生の時、初めて大きなコンテスト(たしか月光かシーガルのコンテストだったように覚えています)で金賞を頂いた記念の作品です。「風の色」といったひねった題名を付けたように記憶していますが、フイルムも本焼きも手元になく、失敗の焼きだけが残っていました。撮影場所は後に万博が開かれた大阪の千里あたり、カメラはオリンパス35(たしかズイコーレンズ 40ミリ?)でした。

スタートというベークライト製の玩具カメラを手に、ニコンやキャノンに広角や望遠レンズをつけた大人たちの撮影会に嬉々として参加、場合によっては撮影会の作品コンテストで上位入賞して得意になっていたのが、中学生時代の NK でした。

やがて、ボルタ判のスタートでは満足できず、せっせとお金を貯めては次から次へとカメラを買い換えて(ウィンザ35、リコーフレックス、オリンパス35 などなど)、D76やコレクトールの甘酸っぱい匂いが充満した押入れ暗室にこもりっ放し、大阪は平野の古道具屋で買って自転車で持ち帰ったでっかいフラネルレンズを使った自作引伸ばし機の改造に明け暮れ、もうNKの少年時代は写真一色になっていました。

大学を出て高校教師になった NK は、ある日、初任給の7倍の大金をはたいて買ったニコンFを首から下げて暮色の街をスナップしていた時、全くの偶然で、ロクちゃんという、すばらしい写真を撮る人と出逢いました。 たまたま手にしていた「アサヒカメラ」の月例第1位(年度末には年度賞1位に輝いた)「帰り道」の作者だったのです。 (ロクちゃんなんて昔の名前でこう書くと、ロクちゃん、気を悪くされるかも。だって、今では日本の写真界のみならず欧米諸国でも高い評価を受けているプロの 川上緑桜 氏なのですから。)
ロクちゃんの紹介で、大阪の地懐社(現在は写壇地懐社)という、当時やっと盛んになりはじめたカラー写真の世界で先端を行っていた写真グループに入れていただき、展覧会にも出品し、 「アサヒカメラ」や「カメラ毎日」、「フォトアート」や「サンケイカメラ」や「日本カメラ」などの月例で、ロクちゃんや太田安昭氏(現在も二科展特賞などで大活躍中)や北口清保氏(今は洒脱な川柳の世界で大活躍)、岡本彰郎氏(現在ゴルフ界で有名?)、今井種夫氏(玩具カメラ蒐集家としてのお姿を雑誌で拝見しました)などの地懐社仲間と毎月上位を独占、ある時など同じ月に、川上さんが「アサヒカメラ」カラー月例1位、太田さんが「フォトアート」カラー月例1位、NK が「日本カメラ」カラー月例1位に同時入賞したこともありました。 今は懐かしい思い出です。

ロクちゃんのご子息を撮った写真で「アサヒカメラ」月例で入賞したものが見つかりましたので、載せておきます。
(今はもう 50歳後半の立派な方なんでしょうね)




1960 年代、NK 20歳代、の作品のいくつかを、ここをクリックしてご覧ください



その NK が、ある頃から、写真に対する情熱を急速に失うようになりました

一つの原因は、ストレートフォトに飽きたらない思いを持つようになり、モノクロのネガにカラーポジを重ねたり、5円玉の穴で満月をつくって合成したり、勝手に空に鳥を飛ばしたりといったことをやりはじめ、まあ、それなりに評価されてコンテストに入賞したりはしましたが、自己嫌悪に陥ってしまったのです。
写真はもっとストレートでなけりゃとあせるものの、当時(1960年代)もてはやされていたいわゆる「クソ・リアリズム写真」「コンポラフォト」は、やたら汚い路傍などをマニアックなまでにリアルに写す、あるいは、逆にボケボケの手振れのひどい失敗作かと思えるような作品ばかりで、なんでわざわざこんなもの見せるのだという気持ちを持つようになりました。社会性という意味は、わかるような気もするのですが、 NK にとって「あこがれの、聖なる」写真でやらないでほしいと思ったわけです。人それぞれですから、いろんなメディアでいろんな主張をなさるのは自由ですが、少なくとも NK は、もうこの世界と縁を切ろうと決めて、フォトアートから遠ざかりました。

と、カッコウをつけてはみましたが、なあに、真の原因は、他のことに気が移り、写真に関わってる時間が惜しくなってきたということもありました。バイクとオーディオとラジコンと鉄道模型とフナ釣りと囲碁、それに何よりもコンピュータとの出会いといったものです。
本職として大学で教鞭をとるようになり、写真を撮っている時間がなくなってしまったということもあります。そちらの方で、 NK を夢中にさせるいろんな機会をいただけましたが、その中でも、フルブライト招聘教授としてアメリカの二つの大学で教えた計6年と、国際交流基金派遣教授として訪れたオーストラリア、あるいは香港大学での1年あまりと、その他、毎年のように出かけた外国でも、シャッターを押すことは一切ありませんでした。

30年の空白‥‥

それが、偶然通りかかった新宿のヨドバシカメラの地下1階で、なんとはなしに手にした写真雑誌に、懐かしいロクちゃんの白鷺の写真が口絵を飾っているのを見て、また NK も写真を撮ろうと、突然、思いはじめたのです。
そうなると、もう、とまりません。カメラも、少年の頃には、そのスペックの隅々まで暗唱していたあこがれのライカ(ほほう、一眼レフもあるんですね)や、コンタックス(ああ、今はヤシカを経て京セラになったんですね)や、ハッセルブラード(昔とそう変わっていないのがうれしい!)を買い漁り、太田さんなどには「くらちゃん、写真が好きなのか、カメラいじりが好きなのか」と叱られそうですが、どうも、本音はどちらも好きといったところでしょうか。若い頃のように、カメラは単なる道具とは、どうしても思えない年齢になってしまったのです。

NK の大好きな日本の写真家は、まずなんといっても川上緑桜。それから、白岡 順、奈良原一高、緑川洋一、植田正治。
こういった輝かしい光を放つ写真作家たちの作品は、30年の空白を一挙に飛び越えて、一点一点、隅から隅まで覚えているから、不思議です。その意味では、アマチュアの名手たちの作品も。
もちろん、30年の空白の間に世にもてはやされる竹内敏信や田中長徳も、逢えてラッキー、と思える存在です。

再び帰ってきて、ほんとうによかった!

モノクロの紙焼き、カラースライドによるコンテスト、写真雑誌に作品を発表する楽しみ、展覧会、写友との撮影旅行、そういった世界に戻る気力は失せていますが、コンピュータによる自由自在のデジタル処理、インターネットというメディアでの作品発表、という「あのころ」には夢にも思わなかった新時代にサバイブ=リバイブして、ふたたび NK は写真に燃えています。 デジタルカメラも、すごく面白いし。


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